愛を込めてあげるプレゼントに透き通った血の流れを感じ取るための鏡ならば知らないわけもなかった

姪がくれた可愛い鏡の蓋を閉じた様子

姪が家に三回目の外泊に来た。又更に回復したようで、安心した、治療抵抗性統合失調症から。もはや見た感じは病人とは思えない。雰囲気の明るさを大きく取り戻していた。

妙な話、死体とは及び付かないというか、僕が目撃したのは透き通った心の持ち主父親が実際だったけれども病による死の影のような不吉さは心に微塵も降りかからずに済んだし、触れ合いの感覚も相当に安らがずにはいなかった。

一つだけ気がかりなのは喋り声が何かに押し詰められてそうに潰れていると思った。

人によって性格から身に付いていて必ずしも珍しくないし、喋り方の個性的な特徴として何一つ危ぶまれはしない。しかし姪には相応しくないのではないか。かつて激かわのお洒落さんだったはずだし、芸能人でいえば北川景子のような印象を与える暮らし振りが望ましいと考えてしまう。

心のどこかに思い悩みが潜んでいるために声を潰すに違いない。それは人生のとても小さな悲しみだろう。苦しまなくて良いから敢えて苦しんでみせるというと僕にも思い当たる経験は一つや二つではなかった。なぜ人は急に声を変えてさも押し詰められたように喋り出してしまうのか。拗ねながら笑わせるともなく、誰かとやり過ごされた小さな悲しみにとてもと微かに遅れて付け加えられる瞬間が好きなんだ。

もう追いかけはしない世界の残像の全てが可愛いと思う。耐えなければならない人生の重みが軽やかに浮き上がって行くように祈っていたわけならば喋り声が潰れるのも一つの信仰の現れだろう。特に問題はない。個性的な特徴か、または遊びならば自分でも行って感じ返せば周りでも偶に見かけた言動の健康な様子に含まれるに過ぎない。

しかし姪には不釣り合いなイメージだとしたら自分らしさを掴み倦ねているせいだろう。

健康とは何か。そして普通に生きるのはどうやって可能かを考えているに違いない。精神科から退院すれば病院の外で久し振りに皆と同じように暮らさなくてはならないからかつて会得していた記憶が遠退いてしまったように分からないだけだ。少しずつ実地に覚えて行けば良いはずだし、僕も理解者としてそばに付いているから姪はきっと自分らしさを掴み取るのも難しくはない。

知的障害でも軽度ならば社会へ適応して自立するのは感受性から可能だと考えられるかぎり、もはや普通に生きられない理由はないと僕こそ余計な心配を抱かせないように姪を見守るべく、日々へ思う存分と努めたい。

姪がくれた可愛い鏡の蓋を開けた様子

姪が鏡をくれた。家に来るといつもお菓子をくれて一日二食以下で腹が減りっ放しの僕には有り難いかぎりだけれどもどこから持ち込んだのか、外出では三回目で初めて食えないプレゼントだった。宝物が又一つ増えたと直ぐに思ったし、素晴らしい人の小さな写真集と共に金庫に新しく保管できるのが嬉しかった。

可愛いけれどもデザインがひょっとすると僕があげたCath Kidstonのバッグと似ているために選んだ。白地に淡い色調の細かい模様が付いていた。そっくりのデザインの鏡だろう。

すると姪は僕が好きだと思って可愛い鏡を敢えて持って来たのではないかしら。

僕が可愛いバッグを姪にあげたのは姪のためだし、自分が好きだからではないけれども姪が面白いのは好きでなければプレゼントとしてあげてはならないとやはり示そうとするところだ。好きといえば自分でも好きだし、嫌いだからあげたわけでは決してない。しかし些かでも自分で嫌いだからあげた僕ではなかったと姪は明らかに触れ合いから経験として知っておかないと気が済まない性状だった。同じように可愛い鏡をあげながら喜んで受け取るかどうかで真実を見ているし、心の通った人間の正しさこそ聞いてもいる。

だから天使としか呼べないと改めて感じる。厳密にいって好きならば何も誰にもあげられないけれども身を切るようにして愛を込めてあげるのがプレゼントだと良く分かる。今此処の透き通った血の流れは永遠の詩人の僕には余りに易し過ぎて取るに足らないほどの世界だけど、ところが温もりが必要ならば本当なのが万物だろう。姪には少なくとも世界の透き通った血の流れが詩的に見聞きできる状態が望ましいと考える。プレゼントに愛が込められていると生きられるような真実と正しさの触れ合いが自分らしさの全てというか、いつでもどこでも面白いに違いない。

他には病院の食事が味気ないとぼやいた。気に入りの納豆も家で食べるのとは似ても似付かないらしい。

内心、安堵した。治療抵抗性統合失調症でクロザピンを投与されたけれども後から糖尿病にかかる危険性が否定できない。塩分が少ない食事は高血圧を予防して血管を痛めないから良い。普段から菓子を多く食べて糖分を取り過ぎながら運動もさほどできないみたいなので、血管が好調ならばまだ益しだろうというか、可成の程度で大事なはずだ、将来の健康な毎日へ向けて。

かつて祖母は糖尿病で入院していたにも拘わらず、何度も繰り返していて慣れていたせいか、別に構わないと自分で持って来てベッドの下に隠していた醤油を病院の味気ない食事に取り出してしめしめ笑いながらかけていたけれども数ヶ月後に亡くなってしまった。

姪はやってないようだから長生きできそうなのが嬉しかった。統合失調症を発症すると治療抵抗性と重度でなくても平均寿命が二十年くらい下がって六十歳ともいわれる。または鬱病でもそうかも知れないし、投薬や心理的なストレスから不健康な毎日を強いられて寿命を縮め兼ねないわけなので、細心の注意を払って生活を立て直さなくてはならない。

食事については性格が大きい。祖母は第二次世界大戦を日本で昭和天皇と共に潜り抜けて来た。働きながら必死に生き延びるために自分を奮い立たせたくて塩分を多く取りたくなってしまうと推測される。だから死への不安が人間にとって高血圧を最も引き起こし易いのではないか。戦争でなくても明日が見えない暮らし振りを続けていると感じるんだ。

姪には安らぎを本当に重視したいし、僕から離れなければ世間的には癒し系男子と呼ばれて静かなぎりの触れ合いしかないから大丈夫だと思うにせよ、家の食事が美味しいともいうので、精神科から退院しても好き勝手に塩分を多く取らないように仕向けたい。

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