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aikoの最大のヒット曲のボーイフレンドの片思いの恋はキスから始まっても純粋なかぎりでしか分からない

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aikoボーイフレンドは2000年の9月20日に発売されてオリコンのCD売り上げの日間チャートで三度の一位、週間チャートで二位、年間チャートで五十四位、そして累計で五十万枚以上のセールスを記録して本人の最大のヒット曲になったといわれる。

僕が初めてaikoを知ったのはボーイフレンドを聴いたせいだった。PVのデザインが凄く良いと感じたのが第一印象だった。全体に茶色みがかったキャラメルのように甘やかな雰囲気の中にaikoが赤いノースリーブと青い短パンと黒いロングブーツという可愛くも肌の露出が多めのセクシーな衣装で、それぞれのイメージは幾らか溶け合いつつも大振りのスタンドマイクを掴み込んでは頑として投げ捨て得ず、不図、左右へ柔らかく踏み込んで大きく揺れながら力強く歌っていたんだ。何もかもが衝撃的というか、本当に目を瞠らずにいられないPVのデザインだった。楽曲のボーイフレンドと同時に歌手のaikoが決定的に印象付けられる瞬間だったし、かつて他では経験しなかったかも知れないほどの楽曲と歌手との幸せな結び付きが受け取られた。人生においては素晴らしい世界というか、必要不可欠な真実が表現されているから胸打たれるばかりだった。
aikoという名前も斬新に感じた。それまでは名前に愛が入っていても気に留まらなかった。著名人で愛子というのも宜保愛子(霊能力者)しか知らなかったみたいに振り返る。とんねるずの石橋貴明がお笑いのテレビ番組のものまねで宜保タカ子と良くやっていたり、三十年くらい前に流行っていた。1980年代の世紀末へ向かう不穏な空気の中で人間味を持った霊視が特徴的で、人気を博しながら様々に取り沙汰された宜保愛子から十年くらい経ってaikoがついに出て来たわけだったけど、もう一つ挙げると英語の小文字だけを使っている名前の表記が類例がなかったんだ。今ではiPhoneなどで当たり前と驚かない。ただし固有名詞を小文字で始める英語は名前の表記を含めて一般的ではないので、普通はやらないのにaikoは逸早く取り入れていたといって良い。気持ちが可愛く捉えられるから日本で、愛、または愛子のイメージが新しく作り替えられるのを気付いて本当に斬新に感じたし、全ては今でも続いていると認めるとすると取り分け最大のヒット曲のボーイフレンドを通じて可愛いのが良いとかなんて人々の発見の歴史的な立役者の一人だったかも…

MISIAが徹子の部屋で大ファンの黒柳徹子と歓談しながら人生の夢を又一つ叶えて

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テレビには殆ど出ないはずのMISIAがまさか本業の歌手を差し置いてまでトーク番組の徹子の部屋を選んだ気持ちに驚いてしまった。
「徹子の部屋」への初出演が決定!
ついに今年デビュー20周年を迎えるMISIAが、テレビ朝日「徹子の部屋」へ初出演することが決定しました!!

Misia.jp via Twitter
普段、観ないし、チャンネルを合わせたのも偶々だったので、これはもはや奇跡と呼んで良い。MISIAがテレビに出るのも偶々というか、殆どないわけならば滅多にないチャンスを予想外に掴んだ好運そのものだった。有り難い気持ちから真っ先に神を崇めるだけだ。
なぜMISIAは徹子の部屋に出たのか
知って驚くのはMISIAは黒柳徹子の大ファンだった。だから司会を務める冠番組の徹子の部屋に出るというのは偶々でもかねて待ち望んだ結果だった。
黒柳徹子は歌手ではないし、MISIAとは必ずしも結び付かないのが意外な衝撃で、一瞬、戸惑いながら左右の目が小刻みに揺れる感じもしてしまった。
実は子どもの頃から黒柳徹子の大ファンだというMISIA。デビューの頃からの夢は『徹子の部屋』に出ることだったそうで、以前コンサートに清水ミチコを招き『徹子の部屋』出たことを想定した予行演習までしていたという。

MISIAは黒柳の大ファン!清水ミチコを招き『徹子の部屋』を想定したことも via テレ朝POST
歌一筋の人生ではなかった。本業と無関係な方面でも同じような夢を思い描いていた。普通はそうだし、誰にとっても同じかも知れなければ凄いのは表現できた。面白いと思うし、異色の繋がりに触れるかぎり、良くやってくれたとまさか愉快に和まされもする心だ。
MISIAは黒柳徹子から種々と学んでいた
歌は複数の先生から教わる貧しい子供たちを助ける馬に耳元で声をかけて乗る
歓談しながら三つ挙げられた。他にもあったかも知れない。言葉に詰まりながら話していて抱え続けた長年の思いが溢れ出すような印象を与えた。歌手から人生の夢を又一つ叶えたと本当に良く分かった。
貰い泣きするのも吝かではないくらい素晴らしい世界が繰り広げられていたし、僕がMISIAが好きなせいだとすると皆に伝わらないのは本当に残念と悔やまれるばかりの詩ならばサファイアの空気だったようだ。
黒柳徹子が話題を振って進行するのが著しく明らかで、いつ終わるとも知れないけど、年季の入った徹子の部屋…

ブログの記事に著者名を付けて訪問者と検索エンジンへ信頼性を高めてアクセスを安定して伸ばす

ブログのアクセスが落ち続けて一日百三十人まで減ってしまった。どういうわけか。何ヵ月も前の状況に完全に逆戻りでは努力する気持ちは虚し過ぎる。散々も散々の忌まわしい苦しみを味わわされる他はない。
人気の投稿の表示を増やしたけれども良いかどうかは直ぐには判断し兼ねるところで、さらに著者名を新たに記事名の下に追加してみた。
訪問者へブロガーが誰なのかが分かり易いとブログの信頼性は高まるのではないか。検索エンジンにとっても著者のオーソリティーに影響する可能性があるんだ。些細な日常ではサイドバーに著者名が付いているけれども最初から表示されてないと必ずしも効果的とはいえない。検索エンジンは人間に合わせて開発されているから閲覧して直ぐに分からない要素はサイト評価でも切り捨てられ易くなっている。分けてもスマホでのデザインがモバイルファーストインデックスから最重要なはずなのに折り畳まれてしまっていた。
しかし本当に厳しい。ブログ全体の検索エンジンでのサイト評価が低過ぎるのが原因だ。雑記ブログだからテーマが定まらなくてGoogleも解析するのは大変なはずだけど、全体として押し上げて欲しい。
最近の記事が好調でも旧来の記事が反対に不調になるからアクセスアップは未来へ足踏みせざるを得なくなるんだ。
取り上げるテーマがコロコロ変わってしまうために検索エンジンでの記事毎のサイト評価がばら付くのを避けられないと考える。
どうすればブログ全体のアクセスを安定して伸ばせるかは著者名の表示が一つの支点になるかも知れない
雑記ブログでもイケダハヤトのまだ東京で消耗してるの?とかまなしばのままはっくなんて大人気な場合がある。訪問者だけではなくて検索エンジンにも好かれているわけなので、外部サイトからリンクが多くて有利なのはページランククローラーの平均巡回数から間違いないにせよ、近年はそれだけでは上手く行かないと推測される。ブログ内容の高品質なコンテンツからサイト評価を上げる部分を見付け出したくなる。
記事に著者名、または自己紹介へのリンクが付いているのは明らかだ。この人がブロガーだから良いとGoogleは思ってテーマが一致しないどんな記事でも同じようなサイト評価を行うという可能性がないわけではない。するとブログ全体のアクセスが安定するのではないかと感じてしまうし、些細な日常でも試さずにはいられない。
元々は記事の終わりに著…

社会的に自立するには笑顔に癒される凄く優しい理解者/とてもかけがえのない他者を信用するのが心強い

姪の七回目の外泊で、又更に調子が上がっていると驚いた。もう十分ではない。治療抵抗性統合失調症と比べると健康なのは間違いないだろうけれどもそうした中で元気が徐々に増しているわけだったんだ。明るい雰囲気だったのが光り輝きかけている。どうも鼻詰まりが収まらないから完全に元気な印象は与えないものの相当に近付いているといって良い。透き通った健やかさを持つのが新しい。
最も興味深いのは帰りに手紙を貰った。家に来てから姪は幾らか書いていたらしい。以前、養護学校で良くやっていて精神科に入院してからは殆どなかったかも知れない。およそいつも誰かにいわれるままみたいな文面だから主体性が懸念されるけれども僕へ宛てた初めての手紙を受け取って軽度の知的障害者だから二十代で小学生並みの言葉遣いを行っている可能性があると認め直してしまった。渡したのも小さく幾重にも折り畳んでいたり、成人では、普通、やらないような仕方だった。さもなければ芸術家とも過言ではない趣向を凝らした創作のせいだろう。
読んでみると姪は天使だと感じた通りの手紙だった
冒頭で面白いのが笑顔に癒されるという。精神年齢が子供とは思えない。小さく幾重にも折り畳まれていたのを破らないように指でゆっくり丁寧に開きながら無邪気な文章を予測していた気持ちがいきなり覆された。癒し系男子だと姪は僕がよもや分かっているのではないか。笑顔を見せているのは昔から変わらないけれども只単に喜んでいたはずが当たり前の幸せというか、生きるかぎりの些細な日常が自覚できなければ言葉にならない世界が表現されたんだ。人間的に成長したと感動せずにはいられない。
思考上、感受性の理論として軽度の知的障害者の姪には安らかな気持ちから知性を働かせて理性を拡大するのが重要視されていたので、昨今は永遠の優しさを与えるという僕との触れ合いの経験が功を奏したようにも捉えたい。
次いで注目されたのは凄く優しいという。僕が端的に聞かされるのはたぶん四回目だったかも知れない。振り返ると十九歳の「優しいな」(大人しい先輩:電車で多めの荷物を持った際)と二十歳の「優しいですね」(魔性的な人:歩道で大きな荷物を案じた際)と二十一歳の「優しいね」(天使的な人:車で家に送ると望んだ際)がとても印象深い。思っていても強いていわない人もいるとすると沈黙からは数え切れないくらい感じさせられているし、有り難いばかりの…

普段の自分らしさをブログでも実生活と同じように分かり易く伝えたい

ブログの記事が他のサイトからリンクを偶に貰っていて最も多いのはFacebookへの共有なんだ。すると何よりもFacebookの利用者に好かれるブログになっていると分かる。
僕は使ってないけれどもFacebookは実名でやるのが一般的みたいだから真面目な人が多いというか、ネットとリアルを切り分けず、ありのままに使われていて比較的に本心が強めに出されているように感じる。
Facebookで好かれるのは実生活が反映し易いとすると個人的に面白い。実生活では僕は人気が一つもないわけではない。癒し系男子と呼ばれたり、皆は普通に仲良くしてくれる場合もあるんだ。
ブログを、一年以上、続けて記事にコメントが殆ど付かないのもあり得ないかも知れないし、余りにかけ離れ過ぎる人当たりは悩ましい。
考えると笑顔が伝わらないのが最大の原因だし、しかもブログでは人々へ寡黙なままの他愛もない受け答えだけで済ませるわけには行かないからキャラクターが非常に分かり難い。
ネットとリアルで自己表現は本当に正反対だろう。誰かに死に物狂いで言葉を延々と尽くすとかなんて実生活では記憶にない。作家活動でなければ微笑みながら少ししか喋らないからブログの印象から捉えられると大違いとも過言ではないわけだ。
ブロガーとして考え直さなくては行けない。僕自身のイメージがもうちょっと分かり易く伝わるように雰囲気を実生活へ近付けるべきだ。
デザインは落ち着いて纏められたし、大丈夫なはずだから文章こそ相応しく変えるのが大切だ。たとえ数千字を並べても一瞬で過ぎ去るように仕上げられると良いと思う。読んで聞いて訪問者を考え込ませない。不思議に気持ち良いほどのスタイルが自分らしいのではないか。
いって永遠の些細な日常に他ならないイメージが求められずにいないし、ブログ全体が僕自身に一致する雰囲気を持つようにさらにもっと強化する言葉遣いを是非とも取って行きたい。
作家活動は灯台もと暗しだ。書けば書くほどにお喋りな人に思われて本心から遠ざけられてしまう。むろん当て嵌まれば持って来いの創作にしても全員には通用しないわけだ。お喋りではないのに書き捲るかぎり、本当の自分を完膚なく指し示す表現には工夫が必要だったと気付く。
たぶん僕は言葉数がどれだけ多くても基本的に味わわれる趣きは沈黙みたいな印象を与える作家、詩人、そしてブロガーになるしかないはずだ。
ブログにFacebo…